ミュージシャン人生を引っ越しに救われた|防音物件マニア・オーイシマサヨシさんの引っ越し遍歴
最終更新日 2023年03月09日
「防音物件についてはめちゃくちゃ調べています」
アニメソングのシンガーソングライターとして活躍するほか、「ようこそジャパリパークへ」など数々のヒット曲の作詞・作曲を手がけるなど、音楽家として幅広く活動するオーイシマサヨシさんは、こう胸を張ります。
引越しのたびに都内や近郊の防音マンションを丹念に調査し、今では後輩のミュージシャンに相談されるほどの「防音物件マニア」なのだとか。
メジャーデビューを果たし意気揚々と上京した20代、音楽活動をやめて故郷の愛媛に帰ることも頭によぎったという転機、そして「人生を救われた」という運命の物件との出会い……。
オーイシさんの音楽人生を支えてきた数々の防音物件について、引越し遍歴と共に語っていただきました。
オーイシマサヨシさん:1980年1月5日、愛媛県宇和島市生まれ。2001年に「Sound Schedule」でメジャーデビューして以来、音楽家として数々の作品を残す。2008年には「大石昌良」としてソロデビュー、2014年に「オーイシマサヨシ」名義で活動開始。2017年、作詞・作曲・編曲を手がけたTVアニメ『けものフレンズ』の主題歌「ようこそジャパリパークへ」が大ヒット。ライブだけでなく、YouTubeなどインターネット上で若い世代からも大きな反響がある。
EP「ギフト」発売中。オフィシャルHP:https://www.014014.jp
ミュージシャン仲間から相談されるほどの「防音物件マニア」
――オーイシさんは自他共に認める「防音物件マニア」とのことですが。
オーイシマサヨシさん(以下、オーイシ):そうなんです。引越しのたびにかなり情報を調べてきました。最近は周りの音楽家や後輩のミュージシャンから物件の相談をされたりもしますね。
――皆さん、防音物件を探している?
オーイシ:つい先日も、ロックバンドの後輩たちとご飯を食べて、「あそこにこういう穴場物件があるよ」と防音物件の話で盛り上がったんです。みんな抱えている悩みは一緒ですね。
弾き語りで曲をつくっていたら隣から壁ドンされたとか、家で録音できないからパソコンとインターフェースを持ってリハーサルスタジオに行ったとか、事務所の倉庫を借りて録音したとか。苦労話ばかりです。
――ミュージシャンにとっては、自宅で気兼ねなく音を出せる環境はとても大事ですよね。
オーイシ:もしこれを読んでいるミュージシャンやクリエイターの卵の方がいらっしゃったら、声を大にしておすすめしたいです。多少家賃が高くてもやっぱり完全防音はすごい!
そういう物件を見つけると音楽生活のアドバンテージになるし、眠ったままの才能が目覚める可能性も高くなる。僕も住環境によって音楽人生が救われたと思っているので、最初にアドバイスとして言っておきたいです。
半地下、線路脇、最上階……。「楽器可」もチェックしないとわからない
――最初の一人暮らしは神戸なんですね。
オーイシ:大学に進学するために愛媛県宇和島市から神戸に出てきて、神戸市営地下鉄の名谷(みょうだに)駅にある大学近くの学生マンションに住んでいました。
そこでSound Schedule(1999年結成。2006年に解散したが、2011年に再結成。略称は「サウスケ」)というバンドを結成して、メジャーデビューしたときも神戸にいました。
大学を卒業して2002年に東京に引越したんですけれど、そこからは音楽中心の生活になるので、「楽器可」の物件を死に物狂いで探した記憶があります。
「Sound Schedule」結成当時のオーイシさん(中央)(CAT entertainment提供)
――上京して暮らし始めたのが練馬区の石神井公園(しゃくじいこうえん)。物件を選んだ決め手は?
オーイシ:当時は防音マンション自体が珍しく、楽器可の物件も音大生のためのものくらいしかなくて……。物件のある地域も音大の近くが多かったんです。
そんななかでたまたま見つけた楽器可のアパートでした。木造だったんですけれど、半地下のメゾネットタイプで、地下なら音を出せるんです。地下に下りる階段がすごく変でしたね。
――どう変だったんでしょう。
オーイシ:ひもを引くと廊下にある床が開いて、半地下に続く階段が現れる。忍者屋敷みたいな感じなんですよ(笑)。省スペースのためにそういう構造になっていたと思うんですけど、何だか秘密基地みたいな感じでときめきました。
――そこから、旗の台(はたのだい)、北千束(きたせんぞく)、緑が丘(みどりがおか)と、東急線沿いで引越しをしていますね。物件は全て防音だったんでしょうか。
オーイシ:防音でした。旗の台のマンションは2LDKで、一部屋を寝室に、一部屋を作業部屋にしていました。部屋のすぐ横を東急大井町線が走っていて。
線路脇の物件って、二重窓になっていたり防音施工されていたりするマンションが多いのでそこを狙っていました。
――なるほど。他にも防音物件の特徴はあるんでしょうか。
オーイシ:物件に「楽器可」と書いてあっても、実際にはいろんなグレードがあるんです。ちゃんと防音施工されている物件もあれば、隣の人の生活音が聞こえるような物件もある。
他にも音楽家がたくさん住んでいるから持ちつ持たれつで、大家さんがOKと言っているというようなパターンもある。実際に行ってチェックしてみないとわからないんです。
二重窓や二重ドアになっている物件は防音施工がきっちりしていますね。建物の構造も大事で、「ラーメン構造」(垂直方向の「柱」と、柱をつないで水平方向にかけられる「梁(はり)」で長方形を構成する)のマンションより、「壁式構造」(床・天井・壁4枚の合計6枚の面で空間を構成する)のマンションだとコンクリートの幅が広くて隣の音が聞こえづらくなります。
あと、僕はDIYもしますね。賃貸でも使える、壁に傷がつかないタイプのグラスウール(綿状になったガラス繊維)の吸音材を張っていました。ただ、天井には吸音材を張れないので、音が上に抜けてしまう。だから、最上階の部屋を選んだりもしていました。
――防音へのこだわりと知識がすごい……! 「ラーメン構造」「壁式構造」という言葉が出てきて驚いたのですが、どうやって勉強したんですか。
オーイシ:めちゃくちゃネットで検索しましたね。不動産屋さんのコラムや個人の方の解説を見ながら勉強させていただいています。
ミュージシャンにとっては環境が生命線になるところが大きいので、ちゃんとロジカルに理解しておきたいなと思ったんです。調べまくっていたらこんなふうになっていました(笑)。
家賃のためにアルバイト。音楽をやめて愛媛に帰ることも考えた
――2006年にSound Scheduleが解散し、その後、「大石昌良」名義でシンガーソングライターとしてソロ活動を始めます。生活や住まいはどう変わりましたか?
オーイシ:旗の台のマンションに住んでいるときにバンドを解散しました。当時あった「ジョナサン」で、メンバーに「解散しよう」って話したのを覚えています。なので3人にとって旗の台は思い出の地になっていますね。
ソロ活動を始めてからは北千束の1LDK、それから緑が丘のワンルームマンションに住んでいました。
ただ、生活は大変でしたね……。音楽をやっていく上で、ストレスなく音を出せる環境ってとても大事なんです。その環境を担保するためには、一般的な家賃より少し高めの家賃を払わなきゃならない。事務所から出る給料だけでは足りないので、ピザ屋さんやチラシ配りのアルバイトを始めたのがこのころでした。
でも「僕はピザを配達するために愛媛から東京に来たわけじゃないよな」と思うこともあって。せっかく音が出せる環境があるんだから、アレンジャーや作詞・作曲といった音楽の裏方の仕事を必死にやろうと思ったんです。
それでアルバイトをやめ、事務所もやめ、全ての手綱を自分で握るようになった。そこから徐々に風向きが変わってきた感じです。そのときの延長でアニソンの制作が始まっているんですよ。
――独立が成功の一つのきっかけになったんですね。
オーイシ:そうですね。でも軌道に乗るまではかなり大変でした。
そんな最中に2011年3月11日の東日本大震災が起こった。あのときにみんな自分の足元を確認したと思うんです。特にエンタメ業界ではライブをするのが不謹慎だと言われたこともあって、世の中が暗くなった時期でした。
そのころは僕も経済的にも余裕がなくて、この先どうしようか迷っていたんです。音楽をやめて愛媛の実家に帰るか、神戸に帰って関西で活動するか、もしくは東京に残って音楽を続けるか。3つの選択肢があったんですけれど、結局東京に残ろうと決めた。
でも、音を出せる環境をどうにかして確保しなきゃいけない。都内じゃなくて郊外だったら家賃も安くて、しかも防音室完備のところがある。それをネットで調べて知って、引越しました。そこが今住んでいるマンションなんですよ。
だから駅は言えないんですけれど。2012年くらいに引越して、10年ぐらいはずっと住んでいます。
「人生を救われた物件」との出会い。同じマンション内で引越しをした
――オーイシさんの「音楽人生が救われた物件」ですね。具体的にどうやって見つけたのでしょうか。
オーイシ:とにかく安くて音が出せる場所を探して、不動産屋さんを15軒くらい回って、30軒くらい内見しました。「ここは外の高速道路の音が部屋に入ってきてボーカルが録れない」とか、いろんな要件を調べていった結果出会った、お宝みたいな物件だったんです。
2LDKで一部屋が防音施工されていて、家賃も他に比べて明らかに安い。「チャンスだ」と思いました。
愛媛に帰る、神戸に帰るという選択肢もあったけれど、今の物件に出会えたから関東にとどまろうと思えた。ある意味、僕のミュージシャン生命をつなぎ留めてくれた物件なんですよ。
――アニソンシンガーとしての活動が始まったのはそこからですよね。
オーイシ:最初に『ダイヤのA』の主題歌(Tom-H@ck featuring 大石昌良「Go EXCEED!!」)を歌ったのが2013年で、引越してすぐだったんですよね。新しい部屋で日曜の朝、自分が主題歌を歌っているアニメを見たのを今でも覚えてます。
そこから自分のアニソン人生が始まって、翌年(2014年)から「オーイシマサヨシ」名義での活動をスタートしました。
ようやく家に本格的に仕事ができる場所ができたんです。それまではお話ししたように「楽器可」といっても、隣の音が聞こえてくることもあったり、本格的な防音施工にはちょっと足りなかったりしたんですけど、今住んでるマンションは24時間ずっと音が出せる防音室がある。
自宅にプロユースと同じようなスタジオがある環境を手に入れて、本当に寝る間を惜しんで、曲を書いたり、アレンジをしたり、歌ったり。とにかく仕事を一生懸命やっていた記憶がありますね。
――自宅スタジオからのネット生配信もそのころから始められたんでしょうか。
オーイシ:当時はYouTubeではなくてニコニコ生放送だったんですけれど、弾き語りの配信も始めました。オーイシマサヨシがここから発信するという基地ができた感覚があって、「整ったな」と思いましたね。
――それからずっと同じ場所に住んでいるということでしょうか?
オーイシ:実は僕、同じマンション内で引越しをしているんですよ。2017年に「ようこそジャパリパークへ」(アニメ『けものフレンズ』の主題歌)がヒットしてすぐのころでした。
「ようこそジャパリパークへ(仮歌)」オーイシさんのカバーバージョン
更新時にはいろんな選択肢もあったし、他にも環境のいい物件はあったんですけれど、この物件に僕はミュージシャン人生を救われたところがあったので。
験を担ぐというか、「この場所を離れたら怖いな」「この場所を大事にしたい」と思って、同じマンションの3LDKの部屋に引越しました。前と同じように、一部屋が防音室になっていて24時間音が出せます。
コロナ禍でも、自分を表現できるスタジオを確保していたことで以前と変わらず発信できました。環境に助けられたなと思っています。
ワクワクするかどうか。街から受ける刺激を大事にしている
――今の物件は10年以上住んでいるとのことですが、それまではどのくらいの間隔で引越していましたか。
オーイシ:僕はだいたい3、4年周期で引越しているんですね。これには持論があって、クリエイターとして街から受ける刺激を大事にしたいからなんです。
時には都会の真ん中に住むことがよかったり、時には郊外に住むことがよかったり、いろんな時期があると思うんですけど、同じ街から「栄養のようなもの」を吸収できるのは3、4年くらいだと考えています。
例えば、緑が丘のマンションにはオフィスビルのような大きな窓があって、春になると窓の向こうに桜並木の遊歩道が見える。夢みたいな景色が広がっていて、それを眺めながら仕事ができたんです。そんな刺激をいろんな場所から受けたいなと。
――素敵なアイデアが生まれそうですね。防音以外にオーイシさんが街や物件を選ぶポイントは何でしょうか?
オーイシ:「刺激を受ける」と近いかもしれませんが、「ワクワクするかどうか」というのは大きいですね。街に対してワクワクするか、部屋に対してワクワクするか。
もしくは「ここの環境だったらいい音楽をつくれそうだな」と思えるか。数年後の自分の姿が思い描けたり、未来が見えたりするかどうかというのは、物件選びの一つのキーポイントになっていると思います。
僕が引越してミュージシャン生命を助けられたように、やっぱり、環境って人を救うと思うんですよね。住む場所って衣食住の一つとして重要なことだと思いますし、時間をかけて街や部屋の知識を蓄えて選ぶのはすごく大事だと思います。
――ちなみに、今の物件からの引越しは考えていますか?
オーイシ:ぶっちゃけ考えています。自分の感覚的には引越しをするタイミングはもう来ているんです。
最近は結婚したり、犬を飼い始めたり、キャリアも長くなってきたりして、「制作」と「日常生活」との間に一線を引きたいなって思ったことがあって。なので今は都内の防音マンションを借りて、そこに機材を全部持っていって作業場のスタジオにしています。
音楽中心の物件選びばかりしてきたので、今度は人生を謳歌するような「こんな場所に住んでみたかった」ということを優先して選んでみてもいいかなって考えています。
例えば、東京タワーが見えるタワマンに半年くらい住んでみたいな、とか(笑)。人生の経験として住んでみて何かを吸収したい、という思いはあります。
好きなものに囲まれて生活してほしい
――この春から新しい土地で新生活を始める方がたくさんいます。ミュージシャン&「防音物件マニア」としてアドバイスはありますか。
オーイシ:みんな防音物件に住むのはハードルが高いイメージをもっていると思うんですけど、調べてみたら意外と安い物件もあるんですよ。
都内で13万円台までなら狙い目。10万円くらいになると、とても安くて掘り出し物件かなと思います。ぜひ探してみてほしいですね。
――ご自身が上京したころに比べると、防音物件は探しやすくなっていますか?
オーイシ:今はかなり探しやすいと思います。自宅で音楽をつくる人も多いし、YouTuberさんや配信者さんもすごく増えていますからね。ゲーム実況者さんは深夜に大声を出すこともあるので、防音室があるマンションに引越したいという話をよく聞きます。
だから物件の数も多いですし、いろんなグレードがある。街のリハーサルスタジオと同じくらい遮音性の高い物件も一般に貸し出されていますし、配信者さんのための防音マンションというのも出てきている。
時代によってどんどん変わってきているなと実感しています。配信者さんにとってもストレスなくパフォーマンスを発揮できるかどうかは人気に直結してくると思いますし、環境づくりは大事だと思います。
――新しい趣味を始めようと思っている方にも参考になりそうですね。最後に、進学や就職で初めて引越しをされる方にメッセージをいただけますか。
オーイシ:一人暮らしになると自由度が高くなりますけど、好きな環境で過ごすのってめちゃくちゃ大事だと思うんです。
僕のこだわりは防音でしたけれど、そうじゃない方も、間取りやインテリア、家電などを選ぶときには大事に決めてほしいなって思います。
あと、初めて一人暮らししたときに買ったものって、意外と残るんですよ。僕、上京したときに手に入れたアイロンを20年たった今も使ってますから(笑)。そう考えると、なおさら好きなものを意識して買ってほしいなと。
自分の好きなものに囲まれて日常生活を歩むと、素敵な未来が待ってるんじゃないかなと思います。
取材・文:柴那典
写真:曽我美芽
編集:はてな編集部
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