引越しは夢をかなえるための“革命”。新しい環境を求め日本移住、そして庭師に|村雨辰剛さんの引越し遍歴
最終更新日 2022年03月08日
※インタビューはオンラインで行うなど、新型コロナウイルス感染症の予防対策を講じた上で取材を実施しました
19歳でスウェーデンから移住し、26歳で日本国籍を取得。庭師として造園業を営む一方、俳優・タレントとしても活躍するなど、ユニークな経歴をもつ村雨辰剛(むらさめ・たつまさ)さん。
体操番組『みんなで筋肉体操』や連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』(ともにNHK)への出演は大きな話題を呼びました。
そんな村雨さんの人生のターニングポイントには、常に「引越し」があったといいます。移住以降、15年にわたる日本生活の中で愛知県内、そして関東へと何度も引越しを重ね、その都度「夢」をかなえてきたという村雨さんの引越し遍歴について伺いました。
村雨辰剛さん:1988年7月25日スウェーデン生まれ。19歳で日本に移住し、語学講師として働き始める。23歳のときに「もっと日本古来の文化と関わりたい」という思いから庭師に転身。26歳で日本国籍を取得し、村雨辰剛に改名。現在は俳優やタレントとしても活動する。
早くスウェーデンを出て、刺激的な環境に身を置きたかった
——村雨さんは19歳のときにスウェーデンから日本へ移住されたんですよね。
村雨辰剛さん(以下、村雨):はい。最初に住んだのは愛知県名古屋市千種区で、語学講師としてスウェーデン語や英語を教えていました。名古屋市内では2回引越しましたね。
東日本大震災をきっかけに一時帰国しましたが、2011年の夏に再来日して、再び名古屋市内で暮らしつつ、造園業界でアルバイトを始めました。
本格的に庭師として働くため愛知県西尾市に引越して5年ほど暮らしたあと、関東に拠点を移して今に至ります。日本に暮らし始めて15年ほどですが、トータルで6回ほど引越しました。
——15年で6回はけっこう多い方ですね。日本への移住前、16歳のときには横浜に3カ月間ホームステイもされたことがあるそうですが、なぜ「日本」に引かれたのでしょうか。
村雨:もともと幼いころから、海外に興味をもっていたんです。生まれ育った場所は、自然豊かですが刺激はなくて。退屈な環境に飽きていて、早く海外に飛び出してまったく違う文化をもつ国に住んでみたかったんです。
そんなとき、世界史の授業で日本の歴史を学び、特に戦国時代に興味をもちました。
ヨーロッパの視点で見ると、日本は不思議がいっぱいでとても魅力的な国です。資本主義であることは欧米と共通しているし、西洋的な一面もあるけれど、歴史的背景が違うので暮らしや慣習はまったく異なります。それが新鮮で刺激的に感じました。
——初めて訪れた日本はいかがでしたか。
村雨:ホームステイ先が代々続く家系で、短期間でしたが日本の文化にたくさん触れられました。
家や生活が和風なだけでなく、お母さんがお茶の先生をされていて茶会に参加させてもらったり、習字を習ったり。休みの日には鎌倉の寺社仏閣に通ったりもしました。
「住んだ」わけではないので、和の文化の表面を“なぞった”だけで深いところまで理解できたわけではありませんでしたが、「日本が好き」という気持ちを改めて確認できたのは大きく、「いつか日本に住みたい」という夢を抱くようになりました。
「私の人生はここからだ」すべてを置いて、着の身着のまま日本へ
——念願かない19歳で日本に移住されたわけですが、海外からの引越しということで、苦労したことや不安に感じたことはありましたか。
村雨:ずっと実家で暮らしていて“引越し”自体が初めてだったので、「電気代はどう払えばいいのか」「生活費は足りるだろうか」といった実生活を送る上での細かな不安はありました。でも、生活習慣や文化の違いについては特に心配していませんでしたね。
私は「郷に入れば郷に従え」という考えを大事にしているので、きっと日本社会にもなじめるだろうと思っていたんです。
——「日本で暮らす」というワクワク感の方が勝っていたんですね。海外からの引越しとなると、持ってこられるものが限られると思いますが、何を持ってきて、何をスウェーデンに置いてきましたか?
村雨:その質問の答えは「ぜんぶ置いてきた」です。
——えっ、ぜんぶ……ですか?
村雨:はい。“着の身着のまま”で来ました(笑)。小さな手荷物を機内に持ち込んだくらいで、預けた荷物もなかったです。
——上京するロックミュージシャンみたいだ……。
村雨:スウェーデンでは18歳が成人の年で、成人を迎えたら独り立ちして家を出るのが一般的なんです。私にとっては、それが日本への引越しでした。
ここからが私の人生のスタートだと思っていたので、すべて実家に置いていこうと。もともと、10代のころは携帯電話すら持っていなかったほど、ものを持つタイプではなかったんですよ。
でも、今は手放せないものがたくさんあります。仕事を頑張って手に入れたもの、例えばお金を貯めてネットオークションで買った古いたんすは、引越しを繰り返してもずっと大事に持ち続けています。
着物を保管しているという宝物のたんす
(YouTubeチャンネル「村雨辰剛の和暮らし」より)
「伝統的な日本文化と関わる仕事がしたい」選んだのは庭師の道
——初めて日本で暮らした街は愛知県名古屋市とのことですが、村雨さんの目にはどう映っていましたか。
村雨:都会で故郷とはぜんぜん違っていました。アパートのすぐ近くにコンビニがあるし、市営のスポーツセンターでは安くトレーニングができる。百貨店や家電量販店などもあって、とにかく便利な街でした。
故郷は車がないと暮らせないような場所で、動物たちが常に身のまわりにいるような自然豊かな生活だったので、ギャップがすごかったです。
——欧米は広い家が多いですよね。日本の住宅に狭さや不便さは感じませんでしたか。
村雨:最初に住んだのは2Kくらいの古いアパートでしたが、日本の住宅はそこまで広くないことは知っていたので、気になりませんでした。もともと、ミニマリストというか「スペースがないなら必要以上のものを持たなければいい」という性格なので。
一つだけ困ったところを挙げるなら、キッチンですね。当時の部屋のキッチンは古いタイプで、とても低かったんです。体づくりのためにはきちんと栄養を取らないといけないので自炊していたのですが、そのために腰を痛めそうになりました(笑)。
——古いキッチン、低いですよね……。東日本大震災後、一時的にスウェーデンに帰国し、再び来日した後に「庭師」の道を選ばれたそうですが、どうして「庭師」だったんでしょう。
村雨:一時帰国をきっかけに自分は日本で何をしたいのかを改めて考えるようになり、「伝統的な日本文化と関われる仕事がしたい」と思ったんです。
最初は宮大工に興味をもち、何社か面接も受けました。でも、大工としての経験がないため、採用されなくて。
そんなとき、求人誌で名古屋市内の造園会社がアルバイトを募集しているのを見つけたんです。調べると日本庭園も手掛けているということでアルバイトとして働き始めました。
とても働きやすい職場だったんですが、1年間だけの契約だったので、もっと本格的に庭師としての修業がしたい、徒弟制度を経験したいと思い、改めて弟子入りできる造園会社を探しました。
なかなか見つからず苦労しましたが、縁あって愛知県西尾市で修業先が見つかり、そこから5年ほど西尾市で暮らしました。
半纏の背には自身で考案したという「村雨家」の家紋が
関東に引越して「この場所で自分の可能性を試せるんだ」というワクワクを感じた
——その後「庭師としてより成長すること」を目指して関東へ引越したそうですね。どうして「関東」だったんですか。
村雨:一番の理由は、新しい環境で自分自身を成長させたいと思ったからです。西尾市は名古屋市と違い田んぼに囲まれたのどかな土地で、時間の流れ方もゆっくりでした。仕事にも慣れ、そのまま平穏な日々を過ごすこともできたと思います。
でも、私はもっともっと刺激がほしかった。自分のポテンシャルを試すためにも、住む場所や働く場所で環境を変えたいと思いました。
——日本で暮らしたいと思ったときと同じだったんですね。
村雨:はい。あとは引越す1〜2年前くらいから今の芸能事務所とも縁ができて、芸能の仕事を始めていたのも理由の一つです。
仕事のたびに愛知から東京へ通っていたのですが、それもだんだん難しくなってきて……。庭師としての成長と芸能の仕事との両立。この2つの理由で関東への引越しを決めました。
——関東で暮らすのは初めてだったんですよね。土地勘がない中でどうやって物件を探しましたか?
村雨:仕事で忙しかったので、現地には足を運ばないまま不動産サイトで探しました。愛用していたのはSUUMOです(笑)。
結局、内見はせず、写真だけで判断して決めました。今はオンライン内見ができる物件も多いですよね。あの仕組みが当時あればすごく助かっていたと思います。
——ご利用いただきありがとうございます(笑)。関東に引越してみて、どんな印象を抱きましたか。
村雨:すごく刺激的です。中でも東京は世界で有数の人口を誇るメガシティーですし、もともと憧れも強かったので、この場所で自分の可能性を試せるんだというワクワク感がありました。
引越し後は、本業である庭師の仕事に加えて、芸能の仕事も増えました。その分、ストレスも増えましたが、ストレスって悪いことばかりではないんです。適度なストレスが刺激となって、自分自身を成長させてくれていると私は思います。
「引越し」は新しい自分と出会うための“革命”
——現在は念願だった庭付きの一戸建てに住み始めたとのことで、YouTubeなどでも日々の暮らしを発信されています。憧れの物件への引越しで心境に変化はありましたか。
村雨:それまでは狭いアパートに住んでいたので、庭造りのための資材や道具をどこに収納するか悩んでいました。庭付きの一戸建てに住み始めたことで、その悩みが解決できたのは大きかったですね。
それに、何よりも「和」の環境で暮らせていることがうれしいです。和室もあるし、床の間もあります。身のまわりにはネットオークションで買った古い家具であふれていて、昭和初期よりも新しいものは一つもありません。まさに自分が住みたかった家そのものです。
——となると、しばらくは引越す予定はなさそうですか?
村雨:どうでしょう……。案外、早く次の家を探すかもしれません(笑)。
というのも、実際に「古い日本家屋」に住んでみて、いいところのほかに、不便なところも実感したんですよ。
冬はめちゃくちゃ寒いし、夏は虫がいっぱい出ます。だから、もう少し住みやすい家を手に入れるのもいいかなと思っています。ただ、なんでもいいわけではなくて、ちゃんと和室があるとか、今も感じている「いいところ」にはこだわり続けたいですね。
あとは新しい家に住み始めても、今の家は事務所としてそのまま残すと思います。それくらい、すごく気に入っていますね。
自宅庭にて火鉢でサンマを焼く村雨さんと、愛猫の芽ちゃん
(YouTubeチャンネル「村雨辰剛の和暮らし」より)
——2021年には朝ドラに出演されるなど、さらに活動の活躍の幅を広げられています。当初、日本への引越しを決意されたとき、こういった道に進むことは想像していましたか。
村雨:きっと、伝統的な日本文化に関わる何かはしているだろうとは思っていましたが、今のような姿はまったく想像していませんでしたね。むしろ、当時は想像できないことへの冒険心こそが原動力になり、今があるんだと思います。
人生は何が起きるかわからない。それこそが魅力ですから。
でも、あくまでも自分の軸は「庭師」です。芸能の仕事で庭師の仕事が難しくなる期間もあるのですが、幸いなことに、私のお客さまは理解がある方ばかりで、活動を応援してくださっています。
所属事務所もわがままを聞いてくれて、スケジュールをやりくりしていただいています。周りの理解と協力にいつも感謝しています。
これからも目の前の仕事に集中して、自分の可能性を広げられるように打ち込んでいきたいですね。
——来日、庭師への転職、さらなる活動の幅を広げるための関東移住と、人生のターニングポイントで「引越し」を選択され、夢をかなえてきた村雨さんにとって「引越し」とは、どんな意味をもつのでしょうか。
村雨:私たちは意識してもしなくても、環境に左右されて生きています。環境が自分自身のリミットやポテンシャルを決めてしまうこともあるんです。引越すことは、その環境を変え、自分の世界を広げ、新しい自分と出会う行為です。
私がこれまで引越しを重ねてきたのも、「新しい自分」と出会いたかったから。そして、その先に何があるのか、飛び込んでみようという気持ちがあったからなんです。引越しは私にとって、一種の「革命」なんだと思います。
取材・文:山田井ユウキ
写真:関口佳代
編集:はてな編集部
芸能人の引越し遍歴をインタビュー!
・第1回 椿鬼奴さん:「暮らし、シケてんな」と思ったら、引越したくなるんです
・第2回 山谷祥生さん:年1回引越しする声優界の引越し魔が語る、遊牧民のような物件放浪人生
・第3回 村雨辰剛さん:引越しは夢をかなえるための“革命”。新しい環境を求め日本移住、そして庭師に
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