玄関の前に崖、南京錠付きの謎の部屋……。”変わった物件”を好む漫画家・久米田康治さんの引越し遍歴
公開日 2022年07月15日
※取材は、新型コロナウイルス感染症の予防対策を講じた上で実施しました
「引越したその日から次の物件を探している」。
『かってに改蔵』『さよなら絶望先生』『かくしごと』などのヒット作で知られる漫画家の久米田康治さんは、毎日のように不動産情報サイトを巡回するほどの物件&引越し好き。
『かくしごと』の単行本に収録されているおまけ漫画「うろ覚え 漫画家仕事場遍歴」では、一風変わった仕事場とそれにまつわるエピソードを紹介しています。
久米田さんが引かれるのは、あと何年残るのかわからないような古い物件。かつて「売れた」と“勘違い”して選んだというタワーマンションでの反省から、建物の「最期」をみとってあげたい気持ちが生まれたと話します。
今回は仕事場を中心としたこれまでの引越し遍歴をあらためて振り返ってもらいつつ、思い出の部屋や街、引越しへの思いを伺いました。
久米田康治さん:1967年9月5日神奈川県生まれ。1991年に『行け!! 南国アイスホッケー部』(小学館)で漫画家デビュー。2007年『さよなら絶望先生』(講談社)で第31回講談社漫画賞少年部門を受賞。その他の著作に『かってに改蔵』(小学館)や『かくしごと』(講談社)など、ヒット作多数
不動産情報サイトを巡回して現実逃避している
――『かくしごと』の単行本に掲載されているおまけ漫画の「うろ覚え 漫画家仕事場遍歴」シリーズを楽しく拝読していました。そこには「不動産サイトを見て回るのが好き」とありましたが、これは今も変わりませんか?
久米田康治さん(以下、久米田):はい。引越したその日から次の物件を探しています。
――不動産情報サイト巡回が「趣味」なんでしょうか。
久米田:趣味というより、現実逃避ですかね(笑)。僕が不動産情報サイトを見るのが好きな理由は、想像力をかき立てられるからなんですよ。
「この街の、この建物で暮らしたら……」と想像するのが一番の楽しみだし、現実逃避できるんです。
――物件探しのこだわりは?
久米田:昔から、あまり洗練されていない変わった家が好きなんです。つくりや間取りが個性的で、住むには効率が悪いものとか……。メゾネット(集合住宅の内部に内階段があり、2階以上の階層で構成された物件)も好きですね。
今の建物って部屋の配置が洗練されていて、間取りを見れば「そこにある理由」がわかる。
でも昔の建物ってめちゃくちゃで、現代の人の感覚からすると「何でこんなのつくっちゃったんだろう?」という空間や仕様が多いんですよ。そこからいろいろと考えを広げていくのが楽しくて。
――そういうところに引かれるのは、創作をなりわいとする漫画家ならではだと感じます。
久米田:あと、絶対欲しいのがルーフバルコニー(階下の住戸の屋根部分を利用したバルコニーのこと)。庭付きじゃなくて、ルーフバルコニーがいいんです。その条件を満たす物件を探すことが多いです。
――なぜでしょう?
久米田:ルーフバルコニーは広くて開放感があって、家から出なくても"外に出た"感覚が味わえるじゃないですか。人と接することなく、広い場所で外の空気を吸えるところがとても好きです。
「格安物件は存在しない!」と学んだ相模大野のアパート
――最初に借りた仕事場は神奈川・相模大野の木造アパートとのこと。1992年なので、連載デビュー作『行け!! 南国アイスホッケー部』開始直後ですよね。
久米田:そうですね。このころはデビュー直後だし、漫画を描くことが何よりも最優先で……。本当はずっと最優先じゃなきゃいけないんですけど(笑)
住居兼仕事場として借りたのですが、どんな建物かとかはそんなに気にせず、立地や広さといった漫画家の仕事に必要な条件で選びました。あとは家賃。同じくらいの条件の建物と比べて、ちょっと安かったんですよ。
――連載作家といえど、デビュー直後だとそこまでお金に余裕があるわけじゃないですもんね。
久米田:でも、やっぱり安いには安いなりの理由がある。この相模大野のアパートで「格安物件などというものは存在しない」と学びました。
この部屋の場合は、ある日いきなり玄関のすぐ目の前に道路が通って、高さ1mくらいの段差ができました。実際に落ちることはなかったけど、一歩間違えるとかなり危ない状態で。
『かくしごと』6巻より (C)久米田康治/講談社
――そんなことあるんですね…….。
久米田:「道路が広がる」とは知らされていたんですけどね。こうくるか、と。
もともとすごく不思議な形をしている物件で、変だなとは思っていたんです。ほかはごく普通の古いアパートのつくりなのに、僕の借りた部屋だけがメゾネットで、後から増築したみたいに新しくて。角も斜めで。
まあでも、危険だけど迂回して通れば問題はないし、来た人がびっくりするのが面白いからいいや、って。
賛美歌で目覚めて、ざんげをした方南町のマンション
――次は『行け!! 南国アイスホッケー部』連載中の1995年に、杉並区の方南町に移られたとか。
久米田:そうですね。相模大野のアパートは木造だったので音が響きやすく、夜中の作業に集中できなくて。
まだ原稿をデータで送れない時代で、編集さんが相模大野まで来るのも、逆に僕が編集部に行くのも大変なこともあって、都内のマンションに引越しました。
――物件の決め手は?
久米田:ここも特にこだわりはなく、家賃が手ごろだったので。
そうしたら隣が教会で、日曜の朝は賛美歌で起きることに……。
物件を借りるなら、周りの環境も含めて楽しめるかどうかが大事だなと、今は思います。
――漫画家は平日も休日も関係なく、夜中に作業をして朝はゆっくり寝ることが多いですもんね。生活スタイルが合わなかった、ということ以外では"楽しめ"ましたか?
久米田:すぐ“ざんげ”ができるのは良かったです。部屋に出窓があって教会の十字架が見えるんですよ。当時描いていた『アイスホッケー部』は下品な漫画だったから、そのことをすぐ謝れるのは、ちょっとした利点かなと思っていました。
『かくしごと』7巻より (C)久米田康治/講談社
――方南町にはいつごろまでお住まいに?
久米田:1997、8年ごろまでだったと思います。引越した大きな理由は、最寄駅からの遠さなど交通の便の悪さですね。もうちょっと栄えているところに行きたいなと思って、引越しを決めました。
売れたと勘違いしていたかもしれない……西新宿のタワマン
――そして移られたのが、西新宿のタワーマンションですね。先生の長年のファンはよくご存知かと思いますが、あらためて、なぜそこを選ばれたんでしょう。
久米田:ちょっと勘違いしてたんでしょうね。「売れた」と。漫画家として成功したと。それで、なんかそれっぽいところに住まなきゃ! といった気持ちがあったんだと思います。
タワマンといっても当時はそこまで高くなくて、22階建てくらいだったかな。物件自体はまあまあ立派でしたけど、そこを馬鹿みたいにリフォームしてしまって……反省しています。
――ずいぶん思い切られたリフォームだったそうですね。風水を勉強されているデザイナーの方が全力で手掛けられて、建築関係の専門誌が取材するレベルだったとか。
雑誌に掲載された「久米田邸」。『モダンリビング』109号より (C)ハースト婦人画報社
久米田:そう。「好きにやっていいよ」って言ったら、本当に好きにやられちゃったっていう。一言で簡単に言うと、ラブホテルみたいなつくりの部屋になってしまって……。
使い勝手が本当に良くなくて、お風呂なんて階段を上って入るんですよ?(笑)滑ったらめちゃくちゃ危ない。
――西新宿という立地には何かこだわりがあったのですか?
久米田:当時は都内でもまだ「タワマン」というものが少なくて、「タワマン」に住もうと思うと選択肢が限られていたんです。もっと都心部に近づくと、ものすごい値段になってしまうし……。西新宿だと比較的安くて……。
――ここも住居兼仕事場だったんですか。
久米田:いえ、仕事場は買ってリフォームしましたが、居住スペースは同じマンション内にもう一部屋借りていました。
――すごい!
久米田:今は基本リモート作業ですが、当時はスタッフが寝泊まりできるスペースが必要だったんです。となると、自宅と仕事場を分けるか、広い家に住むしかない。
でも仕事部屋はリフォームで壁をぶち抜いて、すごく広いワンルームにしてしまったので、スタッフから「寝る場所がない」というクレームが入ってしまい……。おしゃれにつくったのに、部屋の隅にカーテンで仕切った就寝スペースができちゃって。
漫画家がおしゃれな仕事場を維持するのは無理なことを学びましたね。壁をぶち抜いたせいで、ものすごい冷暖房費がかかるし……。
――……西新宿のお部屋には、何か良かった思い出はありますか?
久米田:その質問、まるで悪い思い出しかないみたいじゃないですか!(笑)
――漫画も今のお話も壮絶な点しかなくて……。
久米田:楽しかった思い出かぁ。新宿の夜景に酔えたのも、本当に最初の何日かだけだったしなぁ。割とすぐ新宿に行けて、便利だったことですかね。ヨドバシカメラとかゲーセンとかにすぐ行けた。歌舞伎町とかで飲んだあとも歩いて帰れる。
……どれも家に関する思い出ではないですね。
エレベーターなし&謎の部屋あり、渋谷のレトロビル
――選んだ物件のデザインや雰囲気が、作品の絵柄や内容に影響を与えることはありますか?
久米田:基本的に引越すときって、終わる連載と次に始まる連載の谷間なんです。だから何かしら影響はありますね。どっちが先かわからないですけど。
西新宿の次に渋谷に引越したのは『さよなら絶望先生』の連載前で、次はもともと好きだった昭和レトロな雰囲気の作品を描こうともう決めていたんです。なのでレトロな物件を探しました。部屋は6階だったけど、エレベーターがなくて……。
――そんな裏話が……!
久米田:でもその後、映画『ALWAYS 三丁目の夕日』でレトロがブームになって、すごくテンションが落ちました。流行に乗った人みたいで「ダサい! こんな生活できない!」と思ってしまって(笑)。それで「次はミッドセンチュリー(1940~60年代にブームになった建築デザイン)だ!」と思ってまた引越して。
ここ最近はずっと、渋谷付近で引越していますね。どこも古いところばかりで。神南、宇田川町、代官山……。
――現在、渋谷を舞台とした『シブヤニアファミリー』も連載していますし、「渋谷」という土地にこだわりがあるんですね。今回、あらためて仕事場を振り返っていただきましたが、先生にとって一番思い出深い仕事場はどこになりますか?
久米田:どこだろうなぁ……。やっぱり、さっきも話した6階なのにエレベーターがなかった渋谷のレトロビルかな。かなり癖がありました。
外から南京錠で鍵がかかる、中がコンクリート張りの、何のためにあるのかわからない謎の部屋があって……。おそらく倉庫なのかな……。最後までわからずじまいでした。
『かくしごと』11巻より (C)久米田康治/講談社
ちょうど映画『ソウ』がはやっていた時期に住んでいたので、たまに連想して怖かったですね。でも、そういう謎が多い物件って、それだけで想像力が膨らむから楽しいんですよ。
藤田(和日郎)さんなら、あの部屋だけで1本作品が描けていたかもしれない(笑)
――『謎の部屋壊すべし』みたいな(笑)
渋谷のレトロビル内部。画像下の右手前ドアが「謎の部屋」(久米田康治さん提供)
吉祥寺、江古田、池袋……漫画家が多い街は避けたかった
――昔は今ほど漫画家という職業への理解が進んでいなくて、物件を借りづらいから編集部や同業者から紹介してもらっていた、という話を聞いたことがあります。先生はそういうネットワークは駆使されなかったんですか?
久米田:そうすると、たぶんほかの漫画家の近所に住むことになるじゃないですか。近くに住むと付き合いが必要になるでしょう? それはそれで嫌じゃないですか。
――そうなんですか……?
久米田:しょっちゅう飲むのも嫌だし。漫画家の多い街に住むのは避けたかったです。
特に『週刊少年ジャンプ』の漫画家が多い吉祥寺は絶対嫌でしたね。一生、ジャンプに対する劣等感をもって生きて行かなくてはならなくなる。吉祥寺はジャンプ作家以外は認められない街ですから! そんなとこには住めない。
――な、なるほど……。ジャンプの話はさておき、久米田先生と同時期に「少年サンデー」で活躍していた『名探偵コナン』の青山剛昌先生、『GS美神 極楽大作戦!!』の椎名高志先生、『うしおととら』の藤田和日郎先生、『MAJOR』の満田拓也先生、『俺たちのフィールド』の村枝賢一先生といった方々と横のつながりが強いイメージがあったので少し意外です。
久米田:僕以外はみんな、そのころ近所に住んでたと思いますよ。江古田とか池袋とか。
――先生としては仲良くはしつつも、ご近所付き合いをするのは避けたかった?
久米田:傷のなめ合いになるじゃないですか(笑)。気持ち悪い褒め合いをするのも嫌だし、漫画論を語ってけんかになるのも嫌だし。
でも、西新宿タワマン時代は歌舞伎町が近いせいで、やたらと飲み会に呼び出されることにもなったんですよね……。何のために江古田周辺に住むのを拒否したのかと……。
建物の「最期」をみとってあげたい気持ちが生まれた
――引越し遍歴を振り返ってみると、西新宿のタワマン以外、見事に一貫して古い物件ばかりですね。
久米田:そうですね。洗練された、便利なものにあらがっておいた方がいい気がしていて……。
――どういうことですか?
久米田:東京という都市はもう十分便利だから、建物まで便利だったら人がやることがなくなっちゃうじゃないですか。
あとは新しくてきれいなものに住もうとした西新宿タワマン時代への反省から、もうすぐなくなってしまうものの「はかなさ」に感じるものがあって。
古い建物を見ると「あと何年、この建物は残っていられるんだろう?」といったことを考えるんです。建物の最期をみとってあげたい……そんな気持ちもどこかしらあるのかもしれません。僕の不動産情報サイトのアプリには、そんな古い物件がたくさんブックマークされています。
反省して正反対の方向に行くのもどうかと思わなくもないですが。
――「建物をみとる」というのはすてきな発想です。最後に今、先生が考える理想の仕事部屋を、実現可能性は度外視で教えてください。
久米田:実のところ、犬を飼っていて、自宅も含め今の環境から動きづらいんですよ。
だけど強いて言うなら、暖かいところはちょっと憧れますかね。この年になると体の節々が痛くなるじゃないですか。そういうとき、沖縄とかで仕事したいなと思うときもあります(笑)。でも、多分行ったら仕事をするモチベーションがなくなるでしょうね。
コロナ禍をきっかけにアシスタントさんや編集さんとのやりとりがリモート中心になって、打ち合わせや作業のためのスペース自体の重要性が下がってきてもいます。最近はiPad1台あれば漫画が描けますし、僕も仕事場以外で漫画を描くことが増えました。
広さも家賃も立地も、何も気にしなくてよい状態にどんどんなってきているんですよね。こうなると、「好みの街」に住むしかない。最近はそんなふうに感じています。
取材・文:前田久
写真:曽我美芽
編集:はてな編集部
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・第3回 村雨辰剛さん:引越しは夢をかなえるための“革命”。新しい環境を求め日本移住、そして庭師に
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