引越しを繰り返すこと13回。流浪の果て、東京で“最後の街”を探す|マキタスポーツさんの引越し遍歴|引越し見積もり・比較【SUUMO】

引越しを繰り返すこと13回。流浪の果て、東京で“最後の街”を探す|マキタスポーツさんの引越し遍歴


公開日  2023年06月30日

マキタスポーツさん

お笑い芸人、ミュージシャン、俳優、文筆家と幅広く活躍するマキタスポーツさん。地元の山梨から18歳で上京して以降、20数年間で13回もの引越しを重ねてきました。

とはいえ、特に「引越し好き」というわけではなく、どちらかというとやむにやまれぬ事情で、行き当たりばったりの転居を繰り返してきたのだとか。

その事情とは、主に金銭的なもの。芸人としてなかなか芽が出ない中、家賃を払うお金がなくなって、兄の住む賃貸物件や妻の実家に転がり込むこともあったといいます。

明大前、三軒茶屋、町田、高円寺……東京での引越し遍歴を振り返りながら、「マキタスポーツ」として世に出るまでの苦難の日々について伺いました。

マキタスポーツさん

マキタスポーツさん:1970年1月25日生まれ。山梨県出身。芸人・ミュージシャン・文筆家・俳優。“音楽”と“笑い”を融合させた「オトネタ」を提唱。また独自の視点でのコラム・評論などの執筆活動も多く、2022年3月には初の自伝的小説「雌伏三十年」を出版。俳優としては2012年に公開された山下敦弘監督作品「苦役列車」で第55回ブルーリボン賞新人賞、第22回東スポ映画大賞新人賞を受賞。その後も「きのう何食べた?」「闇金サイハラさん」「MONDAYS /このタイムループ、上司に気づかせないと終わらない」など多くの出演作がある。オフィシャルHP:https://makitasports.com/

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新宿まではギリギリ「山梨エリア」。それより東は落ち着かない

オーイシマサヨシさんの引越し遍歴

――マキタさんは今から35年前、18歳のときに地元の山梨から上京し、それから10回以上の引越しを繰り返してきたそうですね。

マキタスポーツさん(以下、マキタ:はい。ちゃんと数えたら13回引越してました。

――その引越し遍歴についてお聞きしていきたいのですが、上京して最初に住んだ街はどこですか?

マキタ:明大前ですね。先に上京していた兄貴の部屋に転がり込みました。風呂なしの古いアパートで、家賃は3万7000円。狭くてジメジメしていて、穴蔵みたいなところでしたね。途中から俺の高校からの友人が転がり込んできて、六畳一間に男3人で暮らしていました。

そこには2年くらい住んで、2回目の引越しは三軒茶屋。兄貴の給料が上がったので、太子堂のワンルームマンションにランクアップしました。今度は風呂もあって、しかも洗髪洗面化粧台付き。それがとにかくうれしくて、まともな生活を手に入れた感覚がありました。

――ちなみに、当時はバブル景気の真っ只中でしたよね。

マキタ:俺は貧乏学生で家賃も兄貴に払ってもらっていたくらいなので、バブルも何も関係なかったですけどね。三軒茶屋のマンションから町田にある大学のキャンパスと、新宿のバイト先を行き来するだけの生活。当時流行っていたトレンディードラマみたいな生活には全く縁がなくて。

ただ、やたらと気前のいい大人がいた記憶はありますね。三茶の「すずらん通り」で友達と飲んでいたときに、酔っぱらった通りすがりのおじさんがなぜか1万円くれました。あれは一体、なんだったんだろう。

――それくらいお金が有り余っていたんでしょうか……。三軒茶屋のあとはどちらへ?

マキタ:三軒茶屋にも2年いて、その後はいったん山梨の実家へ戻ります。兄貴と一緒に暮らすのが嫌になっちゃったんで。ただ、「絶対にまた東京に住みたい」と思っていたから、とりあえず田舎へ戻って再上京するための軍資金を貯めようと。地元のハンバーガー店で働いていました。

で、お金が貯まり、4回目の引越しは葛飾区です。家賃5万8000円、1Kロフト付きの物件。当時付き合っていた彼女が京成線沿いに住んでいたので、同じ沿線の京成高砂にしたんですが……東京の東側に住むのは本当はすごく嫌だったんです。

――なぜですか?

マキタ:基本的に、東京の西側にいるほうが安心します。地元の山梨とつながっている感じがして。ちなみに、俺は新宿までは山梨だと思っています。新宿には超薄めた山梨がある。だから、新宿から中央線や総武線で東側に行くにつれて、段々と心細くなっていくんですよね。葛飾なんて、山梨からははるかに東にあるから、すごく不安な気持ちで過ごしていた気がします。

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風呂なしアパートで夢を追うも、何もうまくいかなかった20代

マキタスポーツさん

――葛飾時代は、すでに芸能の仕事をしていましたか?

マキタ:いや、芸能界を目指しつつもバイト生活でしたね。内弁慶な性格が災いし、なかなか行動に移せずにダラダラと日々を過ごして。焦る一方で、「まだ大丈夫だろう」みたいな気持ちもあったのかな……。気付いたら24歳になっていました。

お笑いと音楽の両方をやりたかったので、バンドを組んで1〜2回はライブハウスに出ていましたが、それもうまくいかず。

「このままじゃまずい」と思って、芸能事務所の連絡先を調べて「入れてください」って突然お願いして。そしたら「24歳なんてダメだよ」と。「何歳なら大丈夫なんですか?」って聞いたら、「18歳から20歳くらいまでじゃないと」なんて言うから、「肉体は20歳ですよ」なんて食い下がってみたけど、当然無理でしたね。

――きっかけが、なかなかつかめなかった。

マキタ:その後は、『ぴあ』に載っていた劇団の団員募集に応募しました。ただ、入ってみたら「うち、もう解散が決まってるよ」と言われて。「じゃあ、なんで募集するんだよ」 と思いましたが、だったらここで一緒にお笑いをやってくれる相棒を見つけりゃいいかって。それで、劇団の座長をやっていたやつとコンビを組んだんです。音楽好きで、俺がやりたい音楽をミックスしたお笑いのイメージもなんとなく理解してくれていたので、一緒にやっていこうと。

渋谷にあった吉本の劇場(渋谷公園通り劇場)のオーディションにも受かって、何度か出演しました。でも、新人は劇場で下働きをしなきゃいけなかったんですよ。相棒はそれが嫌だったらしく、劇場に来なくなっちゃった。結局、解散することになり、また一人ぼっち。27歳にして、またフラフラすることになりました。そのタイミングで、5回目の引越しですね。

――次はどちらへ?

マキタ:世田谷区の松原です。最寄駅は、また明大前ですね。家賃は4万2000円。風呂なし共同玄関のアパート。その頃から「マキタスポーツ」を名乗り、ピン芸人としてやっていくことを決めました。一応、俺の中では1998年がデビュー年ということになります。

本当はピン芸人になる気なんてなかったんですけどね。ただ、コンビも解散してしまったし、もうやるしかない。それで、リスタートの気持ちで、浅草キッドのお二人が主宰されていたライブのオーディションを受けました。ただ、そこが落ちぶれた芸人の吹きだまりみたいな場所でね。俺みたいに、もともと出入りしていた劇場にいられなくなって、何もかもうまくいかないやつらが行き場を求めて集まってきてた。

そんなところにいるとね、生活も荒むんですよ。一夜の伝説的なエピソードをつくるために毎晩飲み歩いて、酔っぱらって破天荒なことをやり、そこで生まれたハプニングをネタにする。そんなことを続けていました。当然、お金はなくなりますよね。4年間バイトでコツコツ貯めた200万円が、あっという間に消えました。家賃も払えなくなって……。

――また引越しですか?

マキタ:そう、6回目です。兄貴に泣きついて、8年ぶりに彼の家へ転がり込みました。場所は世田谷区の等々力で、10万円の家賃を兄貴に払ってもらう代わりに、掃除や洗濯は全部自分がして。3年くらい住まわせてもらいました。というか、いつからか兄貴は家に帰ってこなくなったので、途中からは自分の城のように我が物顔で暮らしていました。

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家族ができても繰り返される引越し。回数はついに二桁に

マキタスポーツさん

――「マキタスポーツ」になって、仕事自体は増えていたのでしょうか?

マキタ:いや、全然でしたね……。ピン芸人になった当初こそ、いきなり3つくらいレギュラーの仕事が決まったんですけど、それもすぐになくなって。気付いたら30歳を超えていました。

そんな状況の中、31歳のときに、いわゆる授かり婚をします。それで兄貴の家を出て、俺は世田谷区の梅ヶ丘に風呂なしアパートを借り、妻は町田の実家に残ることになりました。

――え? 一緒に住まなかったんですか?

マキタ:今にして思えば完全に間違っているんですけど、結婚しても俺は一人暮らしをしたいと妻に言いました。芸人としての領分を侵されたくない、みたいな気持ちがあったんでしょうね。最悪ですけど、なぜか強気な態度で「俺の生活のペースはここでつくるんだ」って。

でも、結局はアパートの家賃が払えなくなり、妻の実家に転がり込むことになります。それが、8回目……、いや、梅ヶ丘から町田に行く前に、十条の友達の家に転がり込んでいた時期があるから、それも入れたら9回目ですね。もう、自分でも少しワケが分からなくなってるな(笑)。

妻の実家にはしばらくお世話になっていましたが、1年くらい経ったころにお義父さんから「お前はいつまでここにいるんだ」と。

――それで出ていくことになった。

マキタ:はい。でも、引越し資金がないから、このタイミングで初めて消費者金融をつまみました。それを軍資金にして、中野区の大和町というところに親子3人で引越しました。最寄駅は高円寺です。それが10回目ですね。


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東京で初めて「無理がない感じがした街」高円寺

マキタスポーツさん

――10回目の引越し先での生活はいかがでしたか?

マキタ:よかったですね。高円寺は非常に暮らしやすい街でした。当時の俺の気分とか嗜好性みたいなものに、街の感じがピッタリ合っていたように思います。

上京したての頃は、東京のあまりのでかさに気おされていたんですよね。把握しきれないほど広い場所に、ポツンと置き去りにされたみたいな気持ちだった。その後、引越しを繰り返しても、今ひとつ街を乗りこなせないというか、自分の生活をしっかりハンドリングできないまま何となく過ごしてきてしまった感覚があったんです。

それが、高円寺に来て初めて無理をすることなく過ごせる、街と「がっぷり四つ」に組んでいるような感じがしました。街の人たちの、遠慮のない感じもよかったですね。一度、床屋さんで目が覚めたら、勝手に髪の毛の色を変えられていたときもあったな。「塗っといたよ」って(笑)。

そういうのが気に入ってたから、次の引越しも同じ中野区内にしたんですよ。場所を変えることで自分に発破をかけるイメージもあったのかな。若宮ってところで、高円寺の北のほうです。家賃10万円の一軒家。そこで、2人目の子どもを授かりました。

――ちなみに、そのときの仕事状況は?

マキタ:音楽とお笑いを組み合わせるっていう、自分のやりたいことはある程度できていました。ただ、相変わらず稼げてはいませんでしたけど。ライブハウスを借り切ってフェスみたいなことをやってたんですけど、インディペンデントな活動なんで金は出ていくばっかり。当然、10万円の家賃の支払いがきつくなってきて、12回目の引越しです。妻の実家に近い、南町田の都営住宅に行きました。

仕事がようやく上向き始めたのは、その後ですね。バイトも辞め、もう一度しっかりネタに取り組みました。それがライブシーンで徐々に評判を呼んで、40歳を過ぎたあたりからお笑いの仕事だけで何とか食えるようになった。42歳くらいからは俳優の仕事も増えて、やっと安定しました。

それで、テレビ局やスタジオに通いやすい、今も住んでいる杉並区に引越し。これが13回目。あれから10年経ちましたが、今のところ最後の引越しになっています。

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今の家は「仮住まい」。東京で家を買って落とし前をつけたい

マキタスポーツさん

――40歳を過ぎてようやく、仕事も住む場所も落ち着いたわけですね。

マキタ:そうですね。ただ、10年住んでいるからといって、今の家をすごく気に入っているかというと、そういうわけでもなくて。住み始めた当初から「ここは仮住まいだ」って言ってたんですけど、その感覚のまま10年経っちゃいましたね。

――マキタさんとしては、また引越したいと。

マキタ:引越したいというより、いい加減に家を買いたくて。妻にも何年か前から「そろそろ家とか買っちゃう?」って相談しています。ただ、妻は妻で子どもを連れて山梨で山村留学を始めたりして、なかなか踏み切れないまま今に至るという感じですね。

いずれにせよ、そんな豪邸じゃなくていいので、東京に家を買いたい気持ちはずっとある。田舎者なので、東京の土地を買って根を下ろしたいんでしょうね。今が53歳だから、体力的に仕事をがむしゃらに頑張れるのも、よくてあと10年くらいだと思います。その間でなんとかお金を稼いで、一戸建てを買いたい。それで初めて、自分の中で東京に対する落とし前をつけられるような気がするので。

――次の引越しが、マキタさんにとっての集大成になるかもしれませんね。となると、場所がかなり重要になると思いますが、現時点で“最後の引越し先”の候補はありますか?

マキタ:具体的には決めていませんが、目黒とか世田谷とかは少し気恥ずかしいですね。一時的に住むならいいけど、定住となると俺みたいな田舎者には合わないかなと。

……やっぱり高円寺になっちゃうのかな。これまで13回も引越してきた中で、自分が等身大でいられた気がする唯一の街なんで。50代にもなって「等身大の自分」もくそもないんだけど(笑)。

まあ、今のところ高円寺ってことにしておきましょう。

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